第三夜(前編)

小川 まあ、輪島塗がどういうふうに思われているか、あるいは、輪島塗は本当には

どうなのかという話については、今話したとおりだね。

赤木 僕は一番大切なのは、塗物というのはすごく多様だということだと思うんだけ

れど。要するに、今、「本物の時代」みたいな言い方はしたくないけれど、例えば住

宅が新建材でできたようなああいう住宅ばっかりになった中で、やっぱり本物の材料

を使った家に住みたいとか、プラスチック製品じゃなくて、天然素材でできたものを

使いたいとかという志向の中で、そのまんまじゃないけど、やっぱり塗物も同じよう

にふだんにきちんと使いたいという動きもあると思うんだけれど、そういうふうにし

て、いざ、じゃあ、ふだんに塗物を使おうと思った時に、ふだんに使える塗物はな

かったわけですよね。一般的には、特別な時のためにつくられたものをふだんに使っ

ても、それは傷つきやすいし、扱いも面倒で、とても使えないと。

 そういうふだんに使えるためには、それに合わせた塗り方をしなきゃいけなくて、

それに合わせた塗物がなかったものを、最近、個人の作り手が、最近といってもこの

20年ぐらいに、ある程度つくるようになったという話で、僕なんかもどちらかとい

うとそっちの雑器屋さんに入るんだけれど、そうすると、今までの伝統的と言われて

いる、例えば豪華な特別な塗物、漆器をつくっている人たちから、自分たちを否定し

ているように言われることもあるんだけれど、決してそうではなくて、僕は全く反対

だと思うのね。そういう特別な豪華な漆器ももちろん必要なんだけれど、それを本当

にわかってもらうためには、裾野にふだん使える塗物がないといけないと思うのね。

それは、お茶では玉露と番茶の関係と同じようなもので、要するに、玉露というすご

いおいしい高価なお茶があっても、それはふだん番茶を飲んでいて、たまに特別な時

に玉露を飲むから、その奥深さとかが理解できると思うんだけれど、そうじゃない人

がいきなり玉露を飲んでも、やっぱり理解できないことがたくさんあると思うのね。

塗物をふだん使っていて、特別な時にはすごくいいものをまた蔵から出してきて使

う。そうやってこそ初めて塗物の奥深さはすごくよくわかると思うんだけど、そうい

う番茶から玉露までの多様性を漆というのは持っているということを紹介するのは、

僕は「ギャラリーわいち」の仕事でもあると思うんだけど、そういうことを知っても

らいたいなと思うね。

小川 そのことは非常に大切なことで、さっき20年間ふつうに使える雑器のもの

を、個人の作り手たちがつくり始めたと言ってたでしょ。確かにそういうものが実っ

てて、あるいはやむにやまれず、それしか方法がないからという側面ももちろんあっ

たにせよ、いろんな個々の作り手が、本当に塗物は何かということをちゃんと踏まえ

てつくってきた結果というのは、今現在いいものがいろいろたくさんあると思うの

ね、ふだん使いの器として。でも、そのことがやっぱりあまりわかっていない。わか

るようにしてこなかった責任、つまり、いいものはつくられてきたし、つくってきた

蓄積はちゃんとあるけど、でもそれがつくる人のところまできちんとわかるようには

してこなかったのは、作り手の側の責任だとは思うのね、最近。まあ、そのことが悪

いということでは全然なくて、それについてのいろんな理由はわかるんだけど、やっ

ぱりそれがさっき言ったみたいに、「わいち」でもいいし、それ以外のものでもやっ

ぱりちゃんとふつうの人たちがそうやって認知して、一般に流布している輪島塗イ

コールこれだと思っていたものから、別のイメージにシフトしていった時に、物事は

変わると思っているのね。そうならないと、せっかくいいものがずっとつくられて、

これからも行こうとしているはずなのに、いまひとつそこのジョイントがうまくいか

ないのは残念だなというふうに最近ちょっと感じるところはあるけどね。

 下地のことを、いくつか具体的なことを本当は僕は聞きたいことがあるんだけど、

下地というのはいろんな工程があるじゃない。そのことによってきちんと強くすると

いうふうに言ってるじゃない。特に輪島で本堅地という言葉があって、それが最も、

本当にご本尊様のようにきちんとした仕事、これだという権化のような感じになって

いると思うんだけど、どこかで僕の中に疑問があって、やっぱり雑器という時に、本

堅地というものとそれが相反する。

赤木 だから、さっきも言ったように、輪島塗の起源が本堅地の家具だとしたら、そ

れは雑器ではなかったから。で、僕は漆を塗る理由という時に、それは木を丈夫にす

るためのものだという原則があると思うんだけれど、じゃ、下地は何のためにする

というのを、下地職人に弟子入りをした時にずっと考えていて、ずっとわからなかっ

たのね。でも、今は自分の中で答えがあるんだけど、それは二つの理由があって、一

つは下地をする大きい理由は、漆を節約するためなのね。もう一つは、加飾のためだ

と。それが僕の今思っている下地に対する理由の二つなんだけど、丈夫さということ

だけを考えると、例えば福田さんが塗っているように、漆を刷毛でただ塗り重ねてい

く。それはすごくたくさんの漆と塗る回数が必要なんだけれど、それが一番強度的に

は丈夫だと思うのね。

 ただ、それもいろんな反論があって、例えばお椀の中に下地をすることによって、

木に直接熱が伝わりにくくて、例えば床の割れとか、熱が伝わることによって木地自

体が変形して、それで表面が切れていくということが、下地をしていないと起こりや

すいというふうな主張をする人もいるけれど、それはきちんとした材料を木地の段階

で選んで、漆をただ単順に塗り重ねていくという工程を経た場合、僕は一番強いと思

うのね。それはなぜかというと、ふつうに塗物を扱っているときに弱点になるのは下

地なのね。塗物が壊れてはげちょろけになったっていうのは、大体下地が壊れて、壊

れるというのは、厚く土や糊を混ぜてつくったものが、欠けたり落ちたりしていっ

て、壊れていくわけね。だから、そういう意味では、非常に下地というのは一方では

弱点なんだけど、その弱点をなぜやるかというのをずっと自分で考えていて、自分も

下地の職人であるし、今でも下地をしているわけだけど、僕にとって下地というの

は、加飾なわけね。要するに模様をつくる。それと、さっき言ったように造形的な仕

事で、形をつくっていく。骨に肉付けをするように、自分の求めている膨らみとか線

とか、それから表面のテクスチャーを出すための道具、やり方だと思うのね。だか

ら、強いということだけを考えると、漆を塗り重ねた福田さんのお椀みたいなものが

一番、僕のお椀よりもずっと強いと自分では思っているけど。でも、僕は強いという

ことだけを基準にするんだったら、例えばプラスチックのほうがもっと丈夫なわけ。

でも、プラスチックは醜いものが多いから、一方で強度とか機能的なことというのは

非常に重要なんだけれど、それはバランスの問題で、一方ではいかに器は美しくある

というところが僕にとっては非常に重要なテーマで、そのための下地というのは材

料だと今思っている。

 その下地の中では、いろんな下地の方法がある。大きく分けたら錆地と言われてい

る山中とか京都で行われているような砥の粉と漆を混ぜてつけていく下地だけれど、

それに対して輪島とかで行われている本堅地というのはうんと丈夫だと。

小川 確かに全然違うんだよね、その強さという意味では。

 下地のことは、実は赤木明登のものより、僕は長井の均ちゃんのものを見た時に、

あ、そうか、下地というのは必ずしもそういう強さだけとも言えないのかなと、それ

はずっと前の話なんだけど、そういうことを感じたきっかけだったかな。

赤木 均ちゃんと僕と福田さんというのが、輪島では下地の職人なわけね。それぞれ

別のやり方をやっているんだけど、均ちゃんというのは、下地自体をレリーフとして

表現手段に使ってるよね。

小川 つまり、さっき言ってた加飾の最もわかりやすい形でしょう、その3人の中で

いうと。福田さんが最もそれはわかりにくく、あまりないとまでは言わない、あるけ

ど……。

赤木 敏ちゃんの場合は、下地の部分をなくしちゃった下地職人なんだね。

小川 そうかもしれないね。

赤木 それはやっぱり何が丈夫かということを一番彼は理解しているから。

小川 まあその間にいるのかもしれないし。そこに独自性があるかもしれないわけだ

けど。

 下地の話は、まだし出すと具体的なところに入ってたくさんあるんですけど、どう

しようかな。

赤木 どうでも。あと10分ぐらいです。

小川 そうね、あと10分ぐらいだね、時間的に言うと。

 一つ素人としてわからないことは、たまたま輪島というところが、先ほどの話でい

うと、いわゆる珪藻土を使った地の粉という優れた素材があって、それを下地として

使うところから特色が出てきたという話だったし、実際そのとおりだと思うんだけ

ど、地の粉というもの自体がほかのものに比べてそんなに優れているということ自

体、僕はちょっといまひとつ実感として、自分が職人でもないし、触ったわけでもな

いし、わからないところがあるんだけど。

赤木 優れているというのは一長一短があって、何に対して優れているかというと、

僕自身で一番大きいなと思うのは、耐水性があるということだと思う。だから漆と一

緒に固まった時に、塗物というのはどういうふうにして壊れていくかというと、まず

表面の上塗が切れて、そこから水が浸透していって、そうすると下地が溶けて、上塗

が浮いて剥げてくる。その段階で古い輪島の塗物を見ても、表面がすり切れて下地が

出ているんだけれど、でも下地が出た状態のまま、まだ使われている。それは水に対

して非常に強いと思うわけね。反対に砥の粉地というのは、乾いた状態でも水に溶け

やすい。だから切れたところからどんどん水が浸透していって、上塗の部分がどんど

ん剥げてくるというふうになりやすいと思う。それは科学的な分析はいっぱいいろん

な工業試験場なんかでやられているんだけれど、地の粉というのが珪藻土が原料に

なっていることによって、非常に多孔質で細かい孔がたくさんあって、要するに表面

積が非常に大きい。その孔に漆が入り込むことによって、非常に強く結合していると

言われているけれど、それは強度があるという、あとは衝撃に対しても強くて硬い。

でも、塗りにくいし、京都のようなきれいな形はできない、繊細な。

小川 確かにああいう薄いとか、細いとか、センシティブな感じというのはやっぱり

出にくいし、そういうものをつくってこなかったのも輪島の器の特質であり、形とし

ての特質だと思うな。

赤木 ただ、さっき輪島の特徴と言ったけど、形にもすごい特徴があって、輪島的な

。今の輪島塗というのは、ほとんど京都とか加賀の塗物の形なんだけれど、それは

面と言われている角の部分の立て方が、要するに塗物で一番できないのは直角なんだ

けれど、直角の面をつくることができないから、そこに面取りと言って、要するに4

5度で一本線を入れるんだけれど、その線を入れると平行した2本の線ができるわけ

なんだけど、それがいかに細くまっすぐ平行に続いているかというところが技術の象

徴なんだけれど、そういうことを一生懸命争っている。でも、それは明治以前の輪島

塗を見ると、ほとんどそういうことよりも、すごく大らかな面を持っているわけね。

そっちのほうが僕は輪島塗っぽくて美しいと思う。

 柳宗悦の「日本の手仕事」の中で、輪島の塗物が美しかったのは明治の初期ぐらい

までだというふうに書いてあるけど、そのとおりで、それは輪島の土地と材料に根差

した形がそこにずっと出てきて、そこまではつながってたけれど、そこから先、売る

こととか見せることを考えて、京都とか加賀の物の形が外から入ってきて、輪島の塗

物の形がどんどん汚くなってくるんだけど、ほとんどの人はそれが美しいと思って

やっている。僕は汚くなっていると思うんだけどね。やっぱりそれ以前の土地に根差

している形が一番美しかったと思う。

小川 まあ、それはやっぱりしようがない面もあって、もちろん、僕はそれに全面的

に同意するというか、本当に昔のやつを見たほうが美しいと、基本的にもちろんほと

んど思うんだけど、やっぱりそういう商業的な部分ということもあるし、流通という

ことも大きいわけでしょう。それぐらいの時代の時にどんどんいろんな影響があると

か、ほかのところにあるものを見たりする。で、つくる人はやっぱり見れば影響され

るし、それをつくってみたい、いつもつくっているものじゃないものも、新しいもの

としてつくってみたいというのも、やっぱりつくる人のモチベーションだからね。そ

ういうのはすごくよくわかるんだけど、その特質がだんだん失われていったり、影響

され合ってる。で、今の輪島塗の本当にあるものというのは、確かに輪島の本来の形

とは全然違って、その魅力のダイナミズムみたいなものはけっこう失われている。そ

ういうのがないなという気がすごく僕はするんだけどね。

赤木 僕は、今つくられているものは美しくないんじゃなくて、醜いということに気

がついてほしいなと思うんだけど。

小川 なかなかまた大胆な発言をしていますね(笑)。それも僕も100%同意しま

すけどね。2人がここでそれを追求していってもあんまりおもしろい話にならないか

ら、それはそうだと思っている、ということで終わっても十分だと僕は思うけど。

 今、気づいてほしいと思ったというけど、僕が本当に気づいてほしいのは、使って

いる人よりも、つくっている人が、そのことについて振り返って気づいてほしいなと

いうのが僕の気持ちなんだけどね。

 やっぱり思うわけ。前に塗物に興味を持って、やっぱりそういう職人さんと話すわ

けでしょう。そうすると、ものすごく距離感を感じるということが一つある。それは

やっぱり今みたいに、これが美しいとか、いいと思う。でも、僕なんかはそれについ

て100%わりとクエスチョンマークがつくと、そこで会話というか、聞いて何かを

得ようとしても、それが難しくなるでしょう。そういうことがやっぱりあったけど

ね。

 それと、もう一つは、職人さんの特質で、これは別にどういうものをつくっている

人とは限らないけれど、自分がつくっていること、自分がやっていることの意味とい

うのを、言語によって説明したりコミュニケートするというのは、やっぱりなかなか

難しいのね。

赤木 それは必要ないかもしれないけどね。

小川 そう、必要ないからね。こうやって言語でいろいろ規定して話すような職人さ

んがいること自体は珍しいというのと……、必要あるんですか、仕事のために。

赤木 僕にとっては必要だから。

小川 さっき言ったのと矛盾しない? 職人にとっては必要なかったんじゃなかっ

たっけ。

赤木 うん、必要ないんだけど。

小川 今やっていることは何か逆の行為だから。

赤木 いや、必要のない人もいっぱいいるんじゃないかな。

小川 多分、ほとんど職人は必要ないと僕は思っているけど。まあ、不思議だなあと

思いつつやってるわけですね、こうやって。

赤木 うん。そろそろですね。

小川 そうですね。話が違うところに少し行ったところで、今日は終わりということ

にしますか。

赤木 これは55分41秒ということかな。

小川 そうだね。今ちょうど大体それぐらいだね。今日は何となくまとまりのあるよ

うな……

赤木 ないような……

小川 でもあるよ。

赤木 明日のテーマは何でしょう。

小川 明日のテーマは何にしようかな。その下に出してくれているのは「抽象的な問

題・連続性」と書いてあるけど、そういう話をする?

赤木 いきなり。

小川 いいね、一気に。形而上学的な話に持っていこうか。

赤木 でも、それはギャラリーが少ない日がいいな。昨日みたいな日はそういう話は

しにくいよね。

小川 そうだね。やっぱりその日にギャラリーの顔ぶれと、いる人数を見て、それで

話題を決めるか。

赤木 そうですね。

小川 まあ、そういうことですので、また明日もよろしくお願いします。


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