第四夜(前編)
小川 じゃ、始めようか。いいですか。今日は12月の21日、木曜日ですけど、第
四夜、4回目なんだけど、今日はギャラリーが多いので、ちゃんとしたまともな話を
したいと思いますが。
赤木 毎日ちゃんと話してるじゃない。
小川 同じ答えをしないでよ。今日はあんまり形而上学的な話はやめて、なるべく形
而下の話をしたいと思うんだけど。最初に僕から、よいですか。
赤木 どうぞ。
小川 少し前というか、去年の桃居の展覧会を12月にやった時に、新しい器として
天廣椀を出していたと思うんだけど、それを見た時に、ちょっといろんなことを感じ
たので、そのことから少し話をしましょうか。
今までつくっているパブリックイメージというか、赤木の器というようなものが、
一般的な何となくのイメージとして、全体的にわりとどっしりした感じで、ガシッと
力強いというかな、具体的にいえばけっこう厚さもあるし、重みもあって、たっぷり
した大らかな感じのお椀だったりとか、全体的にイメージがそういうふうだったと思
うのね。そういうのを裏切ったような感じがあるなと思ってたんだよね。もともとつ
くってたようなものというのは、今までいろんなことを、昨日もおとといも話してた
んだけど、僕は物を見ると、一番最初にそれがずっと昔の、例えば時代でいうと中世
の世界に直結しているようなイメージが抜きがたくあったのね。
赤木 昔のものが?
小川 昔のというか、それまでにつくってたすべてのもの、ほとんどのものが、どれ
とかそういう話じゃなくて、どの器もそうじゃないかなと、そんなことを思ってて、
実は僕の友達の、書道というか、いわゆる文字を書いている書家の人がいるんだけ
ど、たまたま今年の夏に輪島に行って、「わいち」に行って、いろいろ何人かのもの
が並んでるじゃない、それをぱっと見て、赤木明登の器がすごく気に入ったらしく
て、「いいね」とか言って、東京に帰ってきた時に言ってたんだけど、「この人はす
ごい古い中世の頃のようなそういう感じのものだよね」とか言って、自分で買ってき
たぐい飲みを、買ってきたというふうに僕に言ってたんだけど、まあそのとおりだよ
なぁってその時も思ったのね。そんなことを、僕も思っていることとそのまま一致す
るんだけど、そうやって思ってた時に、去年の11月に、ここにあるこの形のいわゆ
る天廣椀だけど、それを見てずいぶん肩すかしを食うような、そんな感じを抱いたの
ね。そこら辺の変わり方というのを、僕はあんまり詳しく自分では聞いたことがほと
んどなかったので、すごく新しいようなイメージが自分の中にもあったんだけど、そ
のことから今日は話をしたいなと思ってるんですけど。
ここら辺の天廣椀のシリーズ、いろいろ薄いものをその後も、今年は葉反ったシ
リーズとか、あるいは板の皿のものとかをつくっているわけだけど、ずっとそれに連
なるものを、今日はどちらかというと物に即しながら、どういうふうにつくったと
か、そこら辺はどういうふうに考えてつくったとか、それも踏まえて、あるいはこれ
は高田君が挽いてたりするんだと思うんだけど、その木地のことも含めて話そうか
な。
赤木 はい。
小川 あれ、素直ですね、今日はやけに(笑)。
赤木 中世の話からすると、僕が好きなものというのがあるのね。古いものでいろい
ろと。で、ここに僕の塗物と一緒に並んでいるデリフトのこのお皿とか、これは15
世紀だし、それから、これもオランダのピューターのお匙ですけど、これは16世紀
の教会で使われていたものだし……
小川 あちらにスプーンとフォークがあるんだよね。
赤木 うん、これはもうちょっと新しくて、イギリスの17世紀ぐらいの貴族の携帯
用のフォークとナイフだし、あれはゾーリンゲンの19世紀なんだけど。
自分が好きで買っちゃうものは、中世のものが圧倒的に多いというか、惹かれてし
まうのね。中世という時代が僕はどういう時代だか体験したことがないんでよくわか
んないんだけど、中世のものというのは、すごく僕にとってはいいの。心地よいとい
うか。それはね、すごく幸せな感じがするの。これはつくる人がすごく、まあ生活は
すごく封建的だったり、貧しかったり、いろいろ大変なことがあるんだろうけど、物
自体は、これをつくった人が多分すごく幸せだったなというのを感じるのね。だから
すごく好きなの。僕はいつもこういう自分が好きなものを見ながら物をつくっている
ので、そこはどうしても似てきちゃうんじゃないかなと思うのね。
小川 もちろん、昨日、おとといぐらいも、何をどうつくるかという自分の態度の話
の時に、自分が自然に好きなものをそのまま写してつくるということに自分が幸せを
感じるという話をこの前もしていて、そのことと全く同じことなんだと思うんだけ
ど。
赤木 それで、今までつくってたどちらかというと厚みがあって重いものと、それか
ら、去年からつくり始めた薄いものというのは、僕の中では全然何も変わってなく
て、同じ、ただ好きなものをつくってるだけなのね。でも、時代からいえば、なんか
すごくシャープになって、軽くなって、モダンになったように見えるんだけど、僕の
中ではもっとオリジンというか、古いほうに戻ってるのね。
小川 僕は実は、今言ったように言葉でいうと、薄くて、実際に見た感じはシャープ
だし、モダンだし、相反する部分というのを感じる、あるいは感じさせる……
赤木 何と相反するの?
小川 つまり、わりと前代につくってた、わりと重くてがっしりしてて、そういう一
つの塊に相対しているような感じがどうしても見えると思うんだけど、その時に僕
は、実はもっと古いものを自分の中にもけっこうイメージしていて、極端にいうと、
メソポタミアとかインダスとか、そういうようなところまで遡るような器というもの
があるでしょう。それは金属器なわけだけど、そういうところから出て、何かを語っ
てくれるような器だなというふうに、僕は一番最初の印象の時に思ったのね。だか
ら、そういう意味では、違っていながら、オリジンはもうちょっと考えると同じとこ
ろに、どこかにあるのかもしれないなと思いつつ見てたんだけど。
赤木 だから僕の中ではすごくつながっていて、今までつくっていたタイプとこうい
うタイプが連続性があるのね。で、金属器というふうに言われたけど、本当にそのと
おりで、金属というものを形の中にすごくイメージをしてつくっているんだけど、そ
れはどこから始まったかというと、3年前にこの薄いものを出すシリーズの前に、和
紙を使わない輪島塗のシリーズをつくったんだけど、それはあんまり売れなかったん
だけどね。
小川 この前もまだ、夏にやった時に少し残って、展示もしてたぐらいだったよね。
いわゆる和紙を使っていなくて、本当に昔の輪島塗を、前のは物自体も見してくれた
のかな、見たような気がして、それが記憶に残っているんだけど、それは本当に忠実
に塗った塗りなんだよね。葉反った形がありましたもん。
赤木 うん。ただ、それは昨日の話の続きになるんだけど、僕にとって輪島塗という
のは、明治の初め頃よりも前、江戸時代の輪島塗というのが一番美しいと思う。そう
いうものに立ち帰って物をつくりたいということで3年前のシリーズをつくったんだ
けど、それをつくる過程で、いろんな謎が出てきたわけね。その謎というのか疑問と
いうのは、つくっているうちに三つ大きい疑問が出てきて、一つは、前も話したけど
玉縁の問題で、お椀の縁に、玉縁といって、一つはちまきを巻いたように太くなった
部分がある。それが中世ぐらいのいわゆる根来と言われているお椀を見てもあるし、
ずっと近世、幕末、明治ぐらいまで延々とお椀の縁に玉縁がつき続けている。それ
を、なぜ、何のためにつけているのかがわからかったのね。
小川 そうそう、僕もずっと長い間、それは漠然と不思議な感じがしてて、なぜああ
いう形でなってるんだろうなというのは不思議に思ってたね。
赤木 つくる側からいえば、玉縁が1本そこについているだけで、まず手間的には3
倍ぐらい増えるんじゃないかと思うのね。縁づくりの手間がね。
小川 それは木地の話の問題? そういう形をつくることが? あれは下地でつけて
いるわけ?
赤木 いや、それも2種類あって、中世のものは木地でつけているのね。木地でつけ
た上に、あの形に合わせた下地をつけているんだけど、それは非常に難しいわけ、木
地に合わせて下地をつけるということはね。
小川 あ、木地をつくることが難しいんじゃなくて……
赤木 いや、木地をつくることも面倒なのね。
小川 だよね。
赤木 面倒だし、それに合わせて下地をつけて塗りをするということがものすごく難
しいんだけれど、それをもっと簡略化したのは、木地はつるんと何にもないふつうの
お椀の状態で、そこに下地ではちまきを巻くように膨らみをつけていくというのは、
最近の、近世、江戸幕末以降のやり方なのね。
小川 それもあるわけね。下地づけをちゃんとして、玉縁をつくってしまう、下地
で。
赤木 昔のものを写して今つくられているものの多くは、そういうふうに下地で、チ
リ掛けって言うんだけど、はちまきをつくっていくのが一番当たり前のやり方で、で
もやるのは面倒、使う側からいうと、それが欠点になるわけね。あそこの一番縁のデ
リケートなところが、それだけ飛び出ていることによって、ぶつかってそこが欠けた
り落ちたりする。だから、古い骨董のものを見ても、みんな玉縁が欠けて汚くなって
るのね。そんなにつくるのも面倒だし、使うのも弱点になるようなものを、なぜ延々
とつくり続けているのか。それは何かの本に1ヵ所だけ、口の切れがよくなるとかっ
ていうようなことを書いてあったんだけれど、僕はそれは嘘だと思うのね。
小川 うん、嘘だね、それはきっと。
赤木 で、玉縁の謎というのが一つあって、もう一つは、ずっと僕は能登でつくられ
ている江戸時代の古い塗物を集めてきたんだけど、その古いものを江戸初期から幕末
ぐらいまで、ずっと並べて眺めていると、いろいろ気がつくことがあるのね。一番大
きい変化というのは、お膳の形が江戸中期から幕末にかけてものすごく変わってしま
うわけね。それ以前は隅切の、輪島では八隅膳と言われている隅切のお膳なんだけれ
ど、それが江戸中ぐらいから突然、総和膳と言われている足付きの隅が丸い高めのお
膳に変わっていくのね。それを調べてみると、それは輪島だけじゃなくて、日本全国
ほぼ同時期に一気にガーッとそのお膳の形が変わっているのね。変わると同時に、そ
の上に乗ってくるお椀も全部変わってくるの。全体に小ぶりになってくるんだけど、
中世のお椀というのは、例えばあそこに置いてある高台のついた大きいお椀というの
は、大体室町ぐらいのお椀の大きさなんだけど、それがだんだん江戸になると小さく
なってきて、幕末には、ふつうの今僕らがプラスチックでつくられている4寸ぐらい
のお椀の大きさに小さくなっていくのね。それが三つ目の疑問で、なぜお椀が大きい
ものから小さいものに変わってくるのか。それがずっとわからなくて、それで四柳先
生という漆器考古学の日本唯一の金沢大学で教えている先生がいて、その人に会いに
行ったりして、いろいろと話を聞いているうちに、その答えが全部わかったのね。そ
れも長い過程でわかったんだけど。
それで、最初のその玉縁というのはなぜついているかというと、漆器の起源をずっ
とたどっていくと、根来のお椀というのは、みんな同じ様式をしてるわけね。それは
お寺の法事とかに使われてきた什器なんだけれど、その什器の起源を、例えば正倉院
とか東大寺御物で見ると、金属器なのね。で、金属器というのは、要するに、叩いて
鍛金とか、あとは砂張なんかの鋳造でつくり出して、ずっと上縁に向かって薄くして
いくと、要するに上縁の強度はなくなるわけで、それを強度を出すために、一回外側
ににくるりと丸めて輪っかをつくる。そうすることによって上縁の強度を出す。もし
くはこの葉反のものも同じで、これと同じものが東大寺にも金属であるんだけど、そ
れはやっぱり型の強度を出すために、一回外に開く、葉反らせることによって、テン
ションをかけて強度を出す。それから、反対に絞りも同じ考え方で、まっすぐ立ち上
がってたものを、ぎゅっと一回中に入れることによって強度が出てくる。
だから、玉縁も葉反も絞りも、要するに金属の縁の強度を出すために、機能的に考
えられてつくられた形だということがわかったのね。で、それが木に形を写されるわ
けだけれど、金属器というのは非常に高価で、大量生産できなくて、誰でもが使えな
いものだったんだけれど、それを立派な東大寺みたいなお寺だけじゃなくて、もう
ちょっと田舎のお寺も使いたくなった時に、それを木のお椀で挽いて、塗りをして、
金属器に近いものをつくって使うようになったのね。
だから、根来の塗りの原点というのは、要するに金属器のコピーなんだけれど、そ
れを写した時に木の形ができてきたかというと、そうじゃなくて、金属器の形をその
まんま写してしまった。それはなぜかというと、やっぱり金属器というのはものすご
く素晴らしい、絶対にいつかは使いたくなるような憧れの象徴で、そういうものを使
いたいという、そういう人間の欲望とか思いの象徴としてやっぱり玉縁が残ったと思
うのね。あれがなければ、やっぱり別の器になっていて、お寺で使う什器じゃなかっ
たと思う。だから、僕は人間がよりいい生活をしたかったり、よりいいものを求めて
いたり、ポジティブになれることの象徴として玉縁が残っていて、それが木になって
からも何百年も延々と続いていた。でも、だんだんそれが忘れられてきて、玉縁の形
状をずっと中世、要するに室町、桃山ぐらいから幕末までを見ていると、だんだんそ
の線の力が弱くなって、太くしっかりした玉縁だったのが、だんだん消えてきて、幕
末になると、本当におまけでつけたような玉縁になってしまうわけね。
小川 本当に飾りなんだろうね。本来的な意味を失って、もう時間がそれを濾過して
しまって、そういう形自体、また木での完成された形というのを、その間に100年
単位で時間があるわけだから、そういう時間がきっと形というのをすごく濾過して、
完成させるには十分な時間がたっていると思うのね。あくまで飾りになって、機能的
なものがなくなった玉縁の意味、あるいはそこで形というものの美しさを支えるよう
な意味合いというのがなくなった時に、それがだんだん後退していくという、その時
期に当たるのかもしれないね。
赤木 それで、明治になってから、もうそういうもの自体が消えていくわけよね。つ
くられなくなっていく。それで僕のこだわりの中で金属とのつながりができたわけな
んだけど、それと、さっきのお椀がなぜ小さくなってくるかというのは、また別の答
えがあって、それはもう単純に経済学の問題で、生産力、主に農業生産力だけど、そ
れが向上することによって、みんなの暮らしがよくなってくるわけね。特に農民の暮
らしが。それで、中世のお椀がなぜ大きいかというと、その当時は、白い炊いたご飯
を食べることができなくて、ほとんどの人はあのお椀でお粥とか雑炊のような薄いも
のを食べていて、それが江戸時代になって白いご飯が、まあそれも特別な時にしか食
べれないんだけど……
小川 ヒエとかアワとかを中心にしたそういうものだよね、ほとんど江戸時代までは
ね。
赤木 そういうものが食べられるようになった時代からお椀が小さくなってくる。そ
れはだからお椀というのは中にものを入れる器だから、その中に入れるものによって
やっぱり形状が変化してくるというのは当然で、そういう意味で小さくなってきた。
小川 そうだろうね。副食的なものが増えてきたんじゃないかな。穀物類だけという
んじゃなくて、それプラス、今で言う一汁一菜じゃないけど、そういう形態に江戸で
はほとんどそうなってきているので、庶民レベルのあたりでね、よほど下はともかく
としても。だから、そういう何を食べるかという形態、食べるものの種類みたいなも
ののバランスによって、やっぱり器って変化を起こしていると思うんだよね。
赤木 日本料理の今に続いている基礎ができたのは、やっぱり江戸中期から江戸末ぐ
らいで、その時代にお米の生産力が上がると同時に、やっぱり和食の何を食べている
かというのがすごく変わってきたらしいのね。和食のつくり方というのもすごくその
時期に変わっていて、それに合わせて、さっき八隅膳から総和膳に変化をしたってい
うけれど、要するに、お膳自体が全国で同時にガーッと変わっちゃってるのね。それ
はさっきも言ったように、中に盛るものが変わったからなんだけど。それと全体的に
農民の地位が向上して、日本人の8割、9割はほとんど農民だったわけで、彼らの地
位が上がらない限り、食器の消費というのは増えないわけだから、ほとんどそれは
やっぱり農民が支えてたと思うんだけれど、それも一部の上層農民だけど。
その八隅膳が最初どう変わるかというと、小さい足がついて、少し高くなるのね。
そのあと、一気に総和になって3倍ぐらいの高さになるんだけれど、その総和膳とい
うのは、殿様が使う懸盤という非常に豪華なお膳の写しなのね。それをうんと簡略化
したものなんだけど、だからミニ懸盤というような言い方ができると思うんだけれ
ど、それもやっぱりそれを使う人にとって、よりいいものを使いたい、それを簡略化
してでも写して使いたいという気持ちの現れで、ああいうふうにお膳も変わってき
た。あとの生産力とか中身の云々というのは、今の話とは直接は関係ないんだけど、
玉縁を通じて金属器をすごく意識するようになったというのは、今日の話の中心
で……。
小川 きっかけがね。
赤木 うん。それで、僕は素材が変わった時に、同じ形のものが連続してずっと続い
ているということがおもしろかったんだけれど、中国の宋の時代に、9世紀から10
世紀ぐらいにかけて、要するに磁器が発明されるわけですよね。青磁と白磁なんだけ
れど、青白磁というのは最初は何だったかというと、白磁というのは、一般的には銀
器の写しだとされているわけね。青磁というのは青銅器の写しで、やっぱり歴史的に
見ていると、金属器と全く同じ、青銅器と同じ青磁のものがあるわけよね。
小川 あるね。だから、ほとんど同じというのは、やっぱり技巧的に、一つそれだけ
ずっと青銅器が完成された形というのを長い時間でつくってきて、カテゴリーの新し
いものが、新しい技術で何かをつくろうとした時に、やっぱり模倣をしない限りは、
物なんて絶対つくれないよね。全くゼロのところからすごく完成されたものなんてつ
くることができないから、やっぱりそこにある金属器というのを、きちんと、それを
踏まえてそのものにつくる。しかも、例えば焼くという技術を、その形をつくるよう
に、うまく、どう運用して技術を高めるか。多分それが一番技術の大もとだと思うん
だけど、それだから形というのがその時点では同じなんだよね。
赤木 でも、金属に比べて、やっぱり白磁、青磁は高価なものなんだけど、大量につ
くれたものなのね。だから、それだけより下のクラスの人にも広まっていったと思う
のね。それで、その金属器から写されてつくった、例えば宋白磁なんかは、僕はすご
く美しいものをたくさん見たことがあって、好きで、買えるものなら買いたいと思っ
てるんだけど、買えない。
小川 買えないね、どう考えても。
赤木 偽物はいっぱい売ってるけどね。
小川 ちょっと本物は無理でしょう。
赤木 要するに、お茶の世界で唐物と言われている天目型のお茶碗、それから、高麗
物と言われている高麗茶碗の流れをずっと見ていると、要するに天目というのは、銀
器から派生した宋時代の磁器のまた派生なのね、形的には。その天目椀を僕は前から
お茶の世界で見ている時に、一番底についている、いわゆるお茶の世界では茶溜とか
鏡落と言われている底のくぼみがあって、これが一体何だかわからなかったのね。そ
れは玉縁と同じように機能的には必要のないものなの。でもなぜか延々と、茶陶とい
うか、その当時は雑器であり、それから高級な食器でありしたんだけれど、延々と必
要のないはずの鏡落がつき続けている。それは何だろうと思った時に、やっぱりそれ
をずっとたどっていくと金属器があって、金属の器というのは、これは鍛金でつくら
れたものだと思うんだけれど、最後に高台を叩いて出すために、当て金の上にお椀を
伏せてかぶせて、ガンガン外から叩いて、高台を叩いて出したと思うんだけれど、そ
の時に高台を叩いて出した跡だよね、これはね。それが必要のない焼物になったとき
も、延々とその形が続いていくというのは、さっき玉縁が残った理由と同じだと思う
のね。
それと同時に絞りもあって、今年初めてつくった葉反というのは、上縁はそれと同
じことをやっているんだけど、今度はもう一個李朝の高麗茶碗を見てみると、裏返す
と兎兜高台というのがあるのね。その高台の裏がなぜか異様に下にとんがって下がっ
ているものがたくさん銘茶碗の中にあるの。それがまた何だかわからなかった。で
も、これも僕は金属の名残だと思うんだけど、こういうものをつくる時は、すり鉢状
のものをつくっていって、そこに鑞付けで高台をくっつけるのね、金属をつくる時
に。そうすることによって、ふつうの今の焼物とか漆のものっていうのは、底が平ら
になってしまうんだけれど、そうじゃなくて、すり鉢状にぐっと下がった状態で、そ
れの美しさをお茶をする人が気がついていて、その兎兜高台をつけて、やっぱり高麗
茶碗も見込が下にぐっと下がってるんだけれど、それからナヅキや茶溜によって、一
個床が下がった部分ができてくる。これはすごく視覚的に連続性があるものと、一段
つけているものは違うんだけれど、それがある時に、見込を見込んだ時の中の宇宙的
な広がりみたいなものがものすごく出てくると思うのね。力強さとか。そういうのが
ちゃんとわかってそういうことをしていると思うんだけど、何だかそういうことが僕
にとってはすごくおもしろかったのね。
小川 うん、そうなんだろうね。僕も最初にこれを見て思ったのは、ここのいわゆる
天廣椀の見込、それが実際には意味があるものとは思えないわけで、そういうものを
つくるという行為に、そのこだわりがあるんだろうなということを何となく感じて、
僕は多分手紙でそれを書いたような気が記憶でするんだけど、何かそういうことのこ
だわりみたいなものというのは、今自分が見ている、何をつくるかという、この話も
前の話に戻ってしまうけど、どういうふうにつくりたいと思っているか、そこに発し
ているというのがすごくよくわかって、僕自身はすごくそれに共感できるよな、とい
うふうに思っていたんだけどね。見た瞬間からね。
赤木 もっとも、僕にとってそれは遊びの世界なんだけどね。
小川 でも、それはそんなことを言ったら全部が遊びでしょ、ここにあるものは
(笑)。
それで、薄いものをつくった時に、僕は逆にいろんな意味である別のことを考えた
りしたんだけど、その広がりみたいなもの、単純にふつうに使っている人たち、ただ
何かを買って、ふつうに使うお客さんと言われる人たちが見て、そういう薄いものの
広がりというかな、今までの、というのはすごくほかのものもわかりやすくして僕は
いいなというふうに思ったのね。
赤木 ほかのものもというのは?
小川 今までつくっているものも、僕はすごくその意図とか、やりたいこととか、そ
ういうことがもっともっとそのことによってもわかりやすくなる、という意味でも何
か逆によくて、むしろ一つのイメージに固まらない分だけ、こちらにこういう薄いも
のがあることで、もう一つ今までつくってきたその塊の意味合いとか、どういうふう
にそれができたかという話が、昨日、おとといとかしてたんだけど、そういうことが
よくわかるんだろうなという意味で、すごくいいことだなというふうに思ってるんだ
けど。ただ、もうちょっと具体的に薄いものに関しては、いろんなつくっていく過程
での話があるんじゃないかと思うんだけど、やっぱり今までつくってきたものと違
う。
それから、これの一番なオリジンというのは、もしそういう青銅器やそういうとこ
ろにあるとしても、今、これをつくっているのはやっぱり塗物としてつくっている
し、一番もとになっているのは、挽物としての木なわけで、やっぱりこれだけ薄いも
のを、しかも塗り上がってこんなにペラペラした感じで、実際見ても歪みなんかは相
当出てるけど、そういうものをつくっていった時に、いわゆる輪島の挽物屋さんと言
われる人たちで、こういうふうにこれだけのものをつくるというのは、僕はあんまり
見たことがなくて、たまたま僕は個人的には、実は一つものすごく薄いお椀を持って
いるんだけど、それは京都のものなのね。すごく薄くて、形自体はほとんど4寸の汁
椀だから、スタンダードでけれんみがない形なんだけど、とにかくものすごく薄い。
縁を片手で持った時に、もうフニャフニャして、パキッといきそうな気がする。
赤木 それは東京の渡辺喜三郎じゃなくて?
小川 うん、それはそういうんじゃないね。僕はそれはどうして持っているか、その
器がどうして自分のところにあるのか、よくわからないんだけど。
赤木 鈴木睦美さんでもなくて?
小川 睦美さんのものではないですね。睦美さんのものより、もっとはるかに薄い。
この赤木明登の例えば絞りのお椀、ここにあるでしょう。これは持ってもフニャフ
ニャしないよね。こんな状態じゃなくて、もっとフニャフニャフニャフニャするぐら
いに薄いのね。すごく昔からあるけど、自分がそれをなんで買って持っているのかは
自分の記憶がなくて、そういう記憶がないものは僕はけっこうたくさん実はあるんだ
けど、でも持ってるのね(笑)。そんなこと言うと、僕は山本英明さんのすごく昔
の、明漆会の本当に昔の頃のやつも持ってるんだけど、それもなんで持っているのか
わからなくて、どうしてこんなものがあるのかなというふうにいつも思ってたりし
て……。まあ、その話は余談だからいいんだけど、でも多分それは京都のものなん
だ、僕が言ってる話のものはね。