第六夜(前編)
小川 じゃ、始めます。今日は12月の23日の土曜日なんだけど、最終日で、第六
夜です。
赤木 とりあえず、今回のセッションの最終日ですね。
小川 そうですね。昨日までいろいろ話して、5日間話してきたんですけど、毎回毎
回テーマは違って、特に昨日は、本当は予定でいうと、その前の第4番目、4日目の
日に薄いもののお椀の話をしたので、残ったいわゆる角物を、今新しく出てると思う
んだけど、それの話をしようというところで4日の日に話が終わって、昨日は本当は
その話の続きをしようと思ったんですけど、ちょっといろんな理由で、ゲストも違っ
た顔ぶれだったせいもあって、そういう話には全くならない方向に走ってしまったの
で、今日はまず最初に、薄いもののシリーズの中で角物の話というのを、具体的な物
づくりに即して少し話をすることにしようか。
赤木 それを僕が話せばいいの。
小川 そうです。もうバトンタッチ。
赤木 おとといは丸いものの話をしたんだけど、丸いものとか四角いものというの
は、つくり方が全然違うのね、形の。丸いものというのは、すごく抽象的なわけ。
小川 急に難しいことを言うね、一気に。
赤木 四角いものは具体的なんだよね、すごく。それはどういう意味かというと、そ
んな難しい話じゃなくて、丸いものは図面に落とせないし絵に描けない。四角いもの
は、僕はほとんど図面というか、でも僕はそういう技術を学んだわけじゃないから、
ラフなスケッチでしかないんだけれど、そういうもので職人さんに伝えて、あとはそ
れをもとにコミュニケーションをしてつくっていくんだけど、具体的に形をつくりや
すいのね。
小川 自分の考えているのがほとんど具体的にでき上がってくるものと相当近いとい
うことを言ってるわけね。
赤木 うん。それで、一つの僕の角物の木地の基本というのは、無垢の材料を使うと
いうことが最初からあるのね。輪島塗の場合、どんなに何百万もするような高級な重
箱とか座卓にしても、中身はほとんどベニヤなんだけれど、僕はベニヤというのはす
ごく嫌いで、それは好き嫌いの問題で、悪いかいいかという問題じゃないんだけど、
この間、山本英明さんの息子さんと話をしていて、何でベニヤを使わないのかという
話をしてて、それはいい悪いを僕は言ってるんじゃなくて、好きか嫌いの問題で、自
分は使わないと思ってるのね。
デザイン的に考えると、ベニヤという巨大な平面の板を使うことによって、デザイ
ンの可能性というのはものすごく広がっていくわけなんだけれど、でも、昭和という
時代を見てる時に、昭和のモダニズムの初期の家具というのは、天然素材で多くつく
られてきたんだけど、その時代までは僕はすごく美しい家具がたくさんあったと思う
んだけれど、ある時期からベニヤというのが生産されるようになって、いろんな自由
な不思議な形の家具をつくることができるようになってから、どんどん家具が醜く
なっていると思うのね。
僕はどちらかというと、素材の制約を受けながら、その中で一生懸命考えて物をつ
くるというほうが、僕の好みに合っているというか、楽しいから、ベニヤを使わずに
本物の材料を使う。それが基本で、この角物はほとんど桐本木工所でつくってるんだ
けど、僕が無垢の材料しか使わないということを職人さんに話をすると、職人さんは
非常に喜んでくれるわけね。ふだんやっている仕事のほとんどがベニヤだから。で
も、職人さんはなぜか本物の木を使って仕事をしたいと思ってるわけ。僕はそれしか
しないと言うと、すごく燃えて僕のものをつくってくれる。それもすごくよくわかる
から、それが伝わって非常にいい関係で桐本木工所の職人さんたちと今は仕事ができ
てると思うのね。それが四角いものに対しては大前提だと思う。
それで、今回ある四角いものというのは、去年、天廣椀という薄いシリーズをつ
くって、ことしは葉反の薄い丸いお椀と、初めてつくったのが四角い薄いものなの
ね。ただ、これは指物でつくる場合、どうしても強度が必要なので、いろんな技術的
な問題をクリアしなきゃいけないんだけど、僕が求めているもの、薄さを指物でつく
ることは、最初は不可能だと言われたのね。それをいろいろと職人さんたちと話し合
いをしてやった結果、端を薄く見せて、下へいくほど厚みを持たせて、その下の厚み
で接着部分の強度を出すというアイデアが出てきて、それは僕のアイデアじゃなくて
職人さんたちのアイデアなんだけれど……
小川 最初はどういうふうに考えていたわけ? この辺の形を。
赤木 最初は全体を薄くするということしか僕は考えてなかった。
小川 単純に端の部分から下に向かっても、薄いというふうに思ってたわけなのね。
赤木 うん。それでは要するに接着部分の強度が出なくて、指物は不可能だと。じゃ
あどううすればいいということで、こういう考え方が生まれてきた。
それから、技術的な話をすれば、お椀というのは一つの木の塊からくり出せるか
ら、それで自然な狂いを出すことができるんだけれど、じゃあ、指物で狂いを出せと
いったらできるかというと、指物がもし狂ってしまうと、要するにつないでいる部分
が切れてしまう。だから許されないんだけれど、それの中でも狂った表情を、揺らい
でいる表情を出すにはどうすればいい、というので出てきたのがこの餅台なんだけれ
ど、この餅台の天板の板というのは、まっすぐな薄い板で、それを足を組んで接着す
る時に、組む足の上側を引っ込ませたり膨らませたりすることによって、そこにぐっ
と接着をして、この歪みとか狂いを出してるのね。そういうことも職人さんとのやり
とりの中でアイデアとして出てきたり、そういうおもしろいことがいっぱいあったん
だよね。
形からいえば、クリスチャンヌ・ペロションさんにそっくりと言われている鉢です
けど、それと四角いものというのは、実は僕はこの四方鉢というのは、今から4年前
からつくっていて、それはもちろんクリスチャンヌ・ペロションのものを見る前から
なんだけれど、僕の持っているものの中に李朝の四方鉢というのがあって、それは大
体マツの材料でできたごついものなんだけれど、後でちょっと話をしたいと思うんだ
けど、李英才の四角いプレートがあって、李さんの四角いプレートというのは、あの
四方鉢の現代的な解釈なわけなんだけど、僕も同じようなものを塗物でつくりたいと
いうふうに思っていたのね。それで、いろいろと試行錯誤をして、四方鉢というのは
すでに何種類かがあるわけね。現在的にはこの二つになってしまって、それにはもち
ろん薄さという意味ではペロションさんの影響もあるし、ペロションの四方鉢をその
過程で見てしまっているということもあって、似てしまってごめんなさい、と思うん
だけど。
小川 謝る必要は別に僕はないと思ってるけどね。
赤木 別に真似をしたわけじゃなくて、きっとペロションさんと僕が見ているものが
同じだというふうに思う。彼女が言ってくれて、ありがとうございますって……。
小川 もちろん冗談では「ペロパク」と言っていますが、パクるということは、僕は
別に否定的な意味では全然使ってなくて、むしろすごくポジティブな意味で使ってい
るので、パブリックな意味ではね。プライベートなところでは、もちろん冗談として
ネガティブに言っていますけど、本当の意味では、模倣というのは基本的にすごくポ
ジティブな創造的な行為だと思うんだけど、例えばペロションさんのものも僕は持っ
ていて使っているし、李さんのものもよく知っているし、そうやって考えると、やっ
ぱり今ここに全く薄い板物の四角い皿というのがあると、それはもう全く別物だと思
うのね。で、別物でありながら、だけどやっぱり共時性がある。シンクロニスティッ
ドだと思うんだけど、つくっている人たちがそれぞれに、今言ったように同じものを
見、同じ価値観を抱いて、ある時代、今のものじゃなくてもっとずっと遡って、何か
本質的に自分たちがいいと思われるものを目指していった時に、同じところに行き着
くのは、大体物をつくる人にはよくありがちなケースだと思うのね。それがたまたま
李さんであり、ペロションさんであり、赤木明登であったというのは、これは僕は非
常にいいことであって、しかもお互い同士が顔も知っていて、わかり合っていて、そ
していろんなことを考えられるということは、すごく貴重な体験だと思うんですね。
だから、それについてすごくいい意味でポジティブに考えたいなというふうに思って
るんだけど。
赤木 たまたま李英才という韓国人でドイツの焼物の人がいて、スイス人でイタリア
に住んでいる陶芸家がいて、その人たちと僕がいろんな因縁の中でこの10年ぐらい
の間に出会ってること自体が、僕はすごくシンクロニスティーだと思うんだけれど。
小川 そうだね。やっぱりそれぞれがお互いに知り合っているし、お互いのつくった
もの、あるいはその人というのをよく知っていて、そこに共感なりいろんなものがあ
るわけだから、むしろそれが、似てくるという意味じゃなくて、同じようなものを見
ながら物をつくっていくところで生み出されたものとしては、一番いい産物だなとい
う気がするんだけどね。
赤木 でも、ペロションさんもそうだし、李さんもそうだけど、同じようにすごく古
いものをよく見て、それは昨日、おとといの話でずっと繰り返していることなんだけ
れど、そこから得ているものがたくさんあるのね。それが僕も同じなんで、すごくお
もしろいなと思うところなんだけど。
小川 ちょっと今抽象的な話をし始めたけど、実際にはお椀が、いわゆる木地師であ
る高田君が挽いているのと違って、この板物に関しては、桐本木工所という朴木地屋
さんでつくっているわけで、その具体的なことをもうちょっと話したほうが僕はいい
と思うんですけどね。そのあたりのことを含めて。
赤木 具体的なこと?
小川 今、この形、薄さということに関して、いわゆる薄いところから厚いところへ
ということで、その形状、あるいは接着をした時の強度という話をしたけど、僕は桐
本木工所のそういう仕事というのは、赤木明登なくしてあり得ないような……逆か?
赤木 逆だよね。
小川 ごめん、今、逆だったね。桐本木工所なくして赤木明登のいわゆる指物でつ
くってるもの、朴木地でつくるもの、そういうものをつくる時には、ないとつくれな
い存在だと思うんだよね。でも、赤木・桐本というのは、もちろん二人で最近すごく
コミュニケーションがあるし、「ギャラリーわいち」自体を二人でやっているという
こともあるし、でも、そこの一番最初のところというのが、僕は聞いているようで聞
いてないところが一つあって、最初そんなに仲がよかったのか、そこら辺の経緯を僕
は全然知らないので、そこもついでに聞いておきたいんだけど。
赤木 でも、桐本ちゃんとは同じ年でしょ。
小川 うん、そうだね。
赤木 彼は筑波のデザインを出て、コクヨにデザイナーとして入って、4年コクヨに
勤めて、自分の実家を継ぐために帰ってきた。僕も大学を出て、サラリーマンを4年
やって戻ってきた年が同じ年なのね。全然お互いは知らなかったんだけれど、でも、
出会うべくして出会ったと思うのね。でも、全然物のつくり方が違うわけじゃない。
彼はデザイナーだし、プロデューサーとして物をつくってると思うし、僕は個人の作
家もしくは作り手としてつくっていて、全然違うのね。俺は全然覚えてないんだけ
ど、最初に会った時に、何だか喧嘩をしたらしいんだけど。
小川 それは初めて聞いたな。
赤木 さっきのベニヤの話だけど、なんでベニヤなんかを使うんだみたいな話
で……。
小川 言ったわけ? 桐本ちゃんにそう言ったの?
赤木 うん、言ったらしいの。
小川 そうしたら、それは何て答えが返ってきたわけ?
赤木 家ではちゃんと無垢の材を使った仕事をしているから見に来いって、そういっ
て喧嘩をしたって桐本ちゃんが言ってるけど。とにかく、僕が独立してから木地を桐
本ちゃんのところに頼むようになって、さっき言ったように、職人さんがすごくおも
しろがって仕事をしてくれるようになったというだけの話。
小川 さっき言った話で僕が一番興味を持っているのは、山本さんの息子、和博さん
だっけ、あの時はたしか京都で話したような気がして、僕もその場所にいて、3人で
カウンターで話してたんだけど、実は山本さんの紅茶盆というお盆を僕はずっと長い
間使っていて、あれがベニヤだってことももちろん知っているんだけど、そのことに
ついてわりと複雑な思いをしてるのね。というのは、僕は別にベニヤ自体が悪いとは
全然思ってなくて、もちろんそれで構わないんだけど、赤木明登という人がベニヤ
じゃなくて無垢にこだわっているのも知っていて、ただ、山本さんがつくった紅茶盆
というものは、すごく僕はいいとは思っていて、すごく評価しているのね。評価する
というのはちょっと生意気なんだけど、単純に僕は毎日けっこう使っているわけで
す。それ自体の塗りのことも好きなんだけど。でも、確かに言われて、僕はそれから
そういうことを考えたんだけど、例えば長井の均ちゃんが自分のお皿、長い皿と呼ん
でいるいわゆるちょっと細長い、焼魚を……
赤木 長〜い皿ね。
小川 長〜い皿ね。自分の名前をつけているんだけど、ちょっと長方形のお皿。あれ
もベニヤなのね。僕は均ちゃんに質問したことがあって、「ベニヤだとなんか安っぽ
い感じがするんだけど、無垢にはできないの?」というような、そういう何でもない
話で聞いたことがあって、それは均ちゃんの答えは二つあって、一つは、動く、つま
り反るとか、そういう動くということが起こりやすいから、やっぱりベニヤのほうが
いいと思うということと、もう一つは、ベニヤ自体のよさ、形としてつくりやすい、
自分がこういうふうに形をつくるという木地のフォルムの問題だよね、ということを
言っていたわけ。で、それは別に長井の均ちゃんに限らず、多分、ほかの人に聞いて
も、多分、山本さんに聞いても、英明さんのほうだけど、同じ答えが返ってくると思
うわけ。
赤木 でも、経済的な要素もあるでしょ。
小川 3番目はもちろん聞けば経済的なこと、無垢よりは断然安いから、もしベニヤ
じゃなければ、例えばそれが1万2000円の皿にはならなくて、やっぱり2万円ぐ
らいの上代になってしまうということはあり得るし、それも答えの3番目には、聞け
ば言う話だとは思うんだけどね。
赤木 でも、世の中で業者として塗物をつくっている人のほとんどがベニヤを使って
いるのは、経済的な問題だと思うのね。
小川 うん、そうだろうね。
赤木 だって、値段は10分の1だもん。
小川 あ、素材の値段がね。木地の値段のことでしょ。
赤木 うん。
小川 そうなんだよね。それでね、さっき話したことについては、僕はすごく肯定し
てるんだけど、つまり、ベニヤを使った時に、確かに自由になって、形もいろんなも
のがつくれて、それもまた自由になって、それから制約がなくなって、形が狂わなく
て、なんかすごくいいんだけど、やっぱりそこには落とし穴があって、一見自由に見
えるものというのが、結局は一番もともとにある本質というのを損なって不自由に
なっているというふうに実は僕は思っているわけ。
赤木 それは僕は醜くなったと言ってるわけですね。
小川 同じ言葉だと思ってさっきも聞いてて、やっぱりそれが逆に不自由にしてい
る。それは結局、時代的にいえばいろんな業界においていろんなことが言えるけど、
一言でいえばモダンと言われる時代、どんな分野、どんな業界においてもね。あるい
はポストモダン。それも全部を通してそういうことだと思うのね。だから、そのあ
と、つまりポストモダン以降というふうに、そんな言葉でくくるのは大げさだけど、
その中で例えば無垢というようなものが一つの方法論として、そこの自由さを獲得す
る意味ではすごく有効だと僕は思っていて、こういう角物の無垢ということを、ある
意味では非効率で、非経済的で、一見いいことはきっと何もないんだけど……。
赤木 つくってる人は儲からないと(笑)。
小川 それは僕はちょっと知りませんが、ということだとしても。
赤木 だから、僕はそれは色についても言えると思うのね。漆には赤と黒しかないけ
れど、あ、ないわけじゃないんだけど、基本的には赤と黒なんだけど、それには理由
があって、漆の本来の色は茶褐色、半透明で、全くクリアではない。クリアでないか
ら、要するに中間的な淡い色は出せない。赤とか黒とかという強い色しか出せないの
ね。それはすごく不自由なことなんだけど、それに強力に顔料をガンガン入れれば、
グリーンも出せるし、黄色も出せるし、白も出せるんだけれど、そうすると漆の量が
顔料に対して少なくなるから、要するに器としては弱い表面にしかできないのね。だ
から、結局赤とか黒とか強い色しか出せないんだけれど、そこが僕は漆のすごくいい
ところで好きなところなのね。赤と黒という色しかないんだけれど、赤の中にも黒の
中にもものすごく複雑な色があるよね。黒と一言で言っても、すごく白に近い黒から
紫に近い黒もあって、その間にグラデーションのようにいろんな黒がある。その中
で、その黒の中で僕が一番好きな黒を探して、そこに近づこうとしているし、赤だっ
て、僕の赤はすごく独特な赤だと思うけれど、赤の中で自分が最も好きな赤、ものす
ごく多様な中から好きな赤を見つけ出していると思うのね。そういう意味で、すごく
赤と黒に限定されるんだけど、そこにはすごく自由がある。そういう自由さは僕はす
ごく好き。
小川 まあ、そこで遊んでるということなんだよね。
赤木 うん。それで、ベニヤの話に戻ると、ベニヤというものが昭和40年代に入っ
てから爆発的に世の中に広まってくるんだけど、それからデザインが醜くなった。僕
は器をつくろうと思った時に、最初に思ったことというのは、新しい何かをそこに付
け加えるということにどういう意味があるんだろうかということをすごく考えたの
ね。それは、例えばコップならコップという、真ん中がくぼんでいて、手に持てて中
に水が入る、液体が入るようなものというのは、多分、世の中に何十万、何百万、何
億種類というような形の違う、素材の違ういろんなものがたくさんあるわけですね。
モダンな世界では、その中に多くの人は新しい何かをつくろうというふうにいつも
思っていて、そこに自分なりのコップをつくろうというふうに考えているんだけれ
ど、そういうものをつくることが果たして意味があるのかというのを最初にすごく
思ってたのね。そこに自分なりの何かちょっと形の違うコップをつくって、それに付
け加えたとしても、何十万分の1になるしかないわけだから、そういうことには全然
意味がないし、僕は興味がなかったわけ。反対にベニヤを使って新しいデザインの展
開を考えるということよりも、素材に縛られながら、素材の制約の中で自分は物づく
りをしていく。
それから、形に関しては、新しいものをつくるということよりも、古いもの、それ
は昨日まで何度も話をしたことだけど、古いものを写してつくっていくというような
スタイルが始まったんだと思う。今は素材の側から同じことを話をしてると思う。
小川 うん、多分ね。そのことは今回のずっと一つの大きなテーマで、ずいぶん話さ
れたから、また同じことに結論としては言っていると思うんだけど、僕は一つこれを
見てて聞きたいなと思ったことがあるのね。それはどういうことかというと、昨日も
仁城さんのことを話していて、仁城さんの一つのライフスタイルだったり、物づくり
の姿勢、ちょっとカッコよく言えば哲学というものをすごく自分の中に憧れるという
か、支持するものがあるというようなことを言ってたと思うんだけど、この前、エル
マーと話した時に、仁城さんがいろんなお椀とかをつくってるじゃない、で、お盆と
いうのがないよね。
赤木 今回初めてつくったんだね。
小川 それはエルマーが企画してお盆展というのをやったから、その企画に合わせて
仁城さんはつくったわけで、もともとはつくってなかった。僕はそういえば仁城さん
はお盆はないよねという話をエルマーに聞いた時に、彼が言っていたのは、お盆は効
率が悪いわけでしょう。効率が悪いというのは、仁城さんが効率を求めているという
意味じゃなくて、非常に捨てるところが多い。だから仁城さんとしては……
赤木 直径が大きくなればなるほどね、隙間が大きくなるという……。
小川 そうそう、捨てる部分も多いし、どうしても捨てざるを得ないから、木という
ものをいかにも無駄にしていくこと自体が、仁城さんの自分の生き方だったり考え方
とか哲学に反するというのかな、ということでアイテムとしてはなかったわけだよ
ね。とはいっても今回それでお盆をつくってはいたけど、そういうのが一番自分の根
底にある。例えば、こういう指物ではあるけど、こういう薄いものというのは非常に
無駄があるわけだよね。
赤木 うん。
小川 例えば、さっきの仁城さんをという話を前回、前々回してたんだけど、僕の質
問というのは、そういうことってどういうふうに思う? そのことについては何も自
分ではあんまり考えたりはしない?
赤木 仁城さんというのは、けっこうある意味ではエコロジーの人だから、仁城さん
の物のつくり方というのは、木をできるだけ無駄にしない。だから、大きいこういう
1枚の板があったら、そこからまず大きい丸い盤をいくつか取っていくのね。そうす
ると、必ず大きい隙間が生まれるんだけど、そこからさらにちょっと小さい丸いもの
を取る。その空いている隙間から今度はもっと小さい隙間を取って、だから、お盆が
あって、鉢があって、お椀があって、ぐい飲みがあって、お猪口があって、というふ
うに徹底的に木を利用してつくる。それが仁城さんの信条で、生きているものを自分
が殺してつくる限りは、できるだけ無駄にしない。それは捨てて燃やしてしまって
も、木というのはただの物質だから、大した違いはないんだけれど、それは作り手側
の思いだと思うのね。
小川 そうだね。仁城さんのそういう思い入れというか、やっぱりつくる思いだね。
赤木 そういうものが仁城さんにとってはすごく大事で、それはすごくよくわかる
し、仁城さんのおもしろいところというのは、挽いていて、例えば木には割れやら節
がいろんなところにあるんだけれど、それが出てくると、そこで形を変えてしまう。
ふつうの職人さんだったら、木や割れが出てきたところで、その木地は捨ててしまう
んだけれど、それが出てきた時点で、割れをよけて別の形にして仕上げてしまうとい
うところが、やっぱり同じ哲学が一貫して通っていておもしろいところなんだけど
ね。
小川 仁城さんの場合は、それが一つの哲学の高みにまで高まっている気がするよ
ね。物を見ててもわかるんだけど。
赤木 僕はでも木と直接触れ合っているボディをつくる職人さんじゃないから、そこ
まではいかないよね。例えばこれを挽く時には……
小川 これというのは、お椀のことを今言ってるのね、高田君の挽いたやつね。
赤木 99.何%の木材は無駄にしてしまうわけだし、ピシャッとつぶれて何もなく
なってしまうものはたくさんあると思うのね。
小川 一応それを聞いておきたいなと思って、ちょっと余計な質問かもしれません
が。
赤木 僕はエコロジストじゃないみたい。
小川 あれ、そうじゃなかったの? たしかそうだったような気がするんですけど、
ほかのところをいろいろ聞いてると。
赤木 それは廣瀬さんと共通で、エコロジーというのはすごく嫌いなんです。
小川 はい、わかりました。
赤木 その話をすれば長くなるから。
小川 それは話が長くなるから、ちょっと今日はやめます。別のテーマでゆっくり話
すから。
赤木 一言だけで言うと、エコロジーというのはすごく絶対的な価値で、エコだった
ら何でも許されるし、エコじゃないものは許されないみたいなイデオロギーだと思う
んだけど、そこが体質的に合わない。
小川 でも、まあ、ふつうに考えると、ほかのことでやってることがそれに見える可
能性はたくさんあって、そういう姿勢があるからなんで、ま、いいんですけど、それ
は。