書籍

旅のはなし

1 漆の器を抱えて、日本中を駆け回っている。
「半工半商」といって、職人が塗った器を、自ら担いで出かけて売り歩くのは、問屋制度が発達する以前から輪島の昔ながらのやり方。
家に座ったまま注文を受けて、仕事するだけの職人と違って、直接使い手と対面しているから、器に本当に必要なのは何かがよくわかる。
ひとりよがりにならず、仕事に込める愛情と責任もいっそう深くなる。
産地ではいつのまにか、職人と経営や販売をする人が分業化しすぎてしまったために、作り手側が何を作っていいのかがわからなくなってしまった。
それが現在、産地が低迷している原因ではないかと反省している。
そこで昔ながらのやり方に戻ってみようというわけだ。
さすがに今では行商というわけにいかず、売る場所はギャラリーや器専門店での展覧会となった。
声がかかれば、東へ西へ、何処へでも出かけていくが、漆の器の世界は圧倒的に西高東低。
ここで言うのは冬の気圧配置のことではない。
「漆の器が欲しい!」と求められるのは、どういう訳か西日本に偏るのだ。
北日本、東北とは、残念なことにほとんどご縁がない。
岡山では、生まれたばかりという赤ん坊を連れたお母さんが、熱心に小さなお椀を選んで行かれた。
「この子のお食い初めに使いたくて」とおっしゃる。
それならば、一度だけの儀式に使うのではなく、もう少し大きくなっても使うことができるよう、やや小振りの椀をお勧めする。
子ども用と言っても、塗りはきちんとしたものだ。
「小さな子どもに漆塗りはもったいない。
ポイッと投げて壊してしまうよ」と、思われるかもしれない。
その点はどうかご安心を。
どんな小さな子でも「これは大切なものだよ」と、手渡してあげると、丁寧に扱ってくれる。
壊れてもよいようにと、安物のプラスチック容器を与えるから、投げても平気になるのではないだろうか。
毎日の食事で、器を丁寧に扱うようになれば、暮らしそのものが丁寧になっていく。
そう考えてみると、椀という一つの道具が、子どもの性格にまで関わっていくことがわかる。
道具は、それを所有する人の人格の一部になるのだ。
輪島に帰ると、以前に子ども椀を買ってくれたお母さんからお便りが届いている。
「いつもと同じお料理なのに『きょうのごはん、おいしいね』なんて言ってくれるんですよ。
お椀をきっかけにして、子どもとの会話も弾むようになりました。
ありがとうございます」 子どもは正直だ。
漆の器が食べ物の味をおいしくさせてくれることを敏感に感じ取って、表現してくれる。
そんな手紙を読むときほど、作り手としてうれしいときはない。
神戸では、これから結婚するという若いお二人が、ひとつずつ揃いの飯椀と汁椀を買って行かれた。
「自分たちの暮らし向きにぴったりと合うような、モダンな器を探していたんです」と、声をそろえる。
きっと、お椀たちも一緒になって、二人の幸せな食卓を紡いでくれることだろう。
奈良のお店では、入院中のおじいさんに使ってもらおうと、大中小、三つの鉢が入れ子になったのを買って行かれたご婦人がいた。
「病院のプラスチック容器では、いかにも食事が味気なく、かわいそう」と、おっしゃる。
「せめて、漆の器に入れ替えて食べさせてあげたいんです」 後日またお手紙をいただく。
「末期の癌で、食事もほとんど摂れなくなってからも、このお椀でいただく味噌汁はおいしいと、口にしてくれました」 身の引き締まる思いだ。
お椀は、掌に乗る小さな道具だが、命の糧を運んでいるのだ。
ますます精進して、良い器を作ろう。
乳飲み子からお年寄りまで、漆の椀は人生というながい旅の良き友になるに違いない。
2  この橋を渡るたびに、「千年ののち、この橋はどういう姿でここに架かっているのだろうか。
いや、千年後にも同じ場所に同じような橋がありつづけるのだろうか」と、どうも変てこりんなことばかり考えてしまう。
この人工による構築物が、とてつもなく巨大で、あまりにも立派なので、ついついこれは永遠に持続しつづけるものではないかという錯覚にとらわれてしまうのだ。
新幹線を岡山駅で降りて、高松行きの快速マリンライナーに乗り換える。
向こう岸に住む人から瀬戸大橋を渡るときには、先頭のグリーン車両二階の展望席に座るようにと勧められていたので、素直に従った。
区間のグリーン券九五〇円也+缶ビールは、庶民のささやかな贅沢。
「なるほど、こりゃビールが旨いや」 何十年か前、宇高連絡船の上から眺めた瀬戸内海とは全く違う、さらなる高みから見下ろすような風景を眼にすると、自分がこの海と点在する島々の支配者になったかのような勘違いさえしてくる。
今から千年前、おおよそ平安時代の建築物などは、寺社などにまだ少なからず保存されているが、あまたのものがすでに失われた果てのことだろう。
さらにさかのぼれば、エジプトのピラミッド、日本の王墓など、その前に立てば、いまだに創建当時の姿を思い起こさせてくれるものもあるが、実際にはその残像を見ているに過ぎない。
人間は、自らの手で作り上げたもの、つまり人工物に永遠を求めるのが常だが、見果てぬ夢だろう。
でもこの橋は、墓でも宗教施設でもない。
どこまでも実用のものだ。
この橋が、用に足りるものである限り、はてしないメインテナンスがつづけられ、持続するのだろう。
列車の旅で空間をほぼ水平に移動しながら、こうして千年の過去と千年の未来、二千年の時間を彷徨ってみるのもまた楽しい。
目的地の高松には、変なことばかり考えている僕のさらに上を行く変なことを夢想しておられる方がいる。
その人は蓮井さんという着物屋の主人で、高松の町のまんなか近くに森を作ったので見に来ないかと誘われたのだ。
いったい何のことやらさっぱりわからぬまま、僕は車中の人となった。
高松市の中心部には、丸亀町商店街とライオン通りという結構賑やかな商店街が平行している。
二つの商店街の間に挟まれた一角にその小さな森はあった。
着物屋の店舗から少し離れた場所にある屋敷を購入し、更地にした。
土壌を浄化するために、いったん土を何メートルか掘り起こし、何トンもの木炭を地下に埋め込んで、土を戻し、四国という土地の植生を鑑みて木を植えていったという。
もちろん、垣も門もない。
家並みがつづく通り沿いに忽然と奥行きのある木立が現れる。
いったい何のために? 「やっぱり地球温暖化対策ですか?」 僕の的外れな質問に、ご主人は「そんなはずないでしょう」という顔で笑ったまま、質問には答えない。
千年前は、おそらくこの辺り一帯はこんな森だったのではないか。
僕は想像する。
そして千年後、ひょっとしたらこの町は、再びここから始まった森にのみ込まれているのではないだろうか。
僕は空想する。
この森は、墓でも宗教施設でもない。
どうやら実用のものでもなさそうだ。
では、いったい何だろう、僕にはわからない。
ただ一つ言えるのは、この森は自然の産物ではないということ。
ほんものの植物が植えられてはいるけれど、人為によって作り上げられた人工の森なのだ。
森は人工だけれど、そこに四季の移ろいを取り込んで、ゆっくりと変化をつづけている。
主人は、おそらく莫大な金銭を投じて、ここでただ遊んでおられるのに違いない。
僕は腕組みをして森の出口で唸った。
「いやぁ、男のロマンですよねぇ」 あの巨大な橋と規模は全く違うけれど、この人工の森の方に強く「永遠」を感じるのは僕だけだろうか。
(ブルーシグナル 2009)