書籍

「茶の箱」の反省

奥能登の、人里離れた場所にある僕の家をわざわざ訪ねてくれる客人が多い。
たいていの方は、お泊まりになり、食事を楽しみ、ともに盃を傾けることになる。
客のある日は、朝から山海川を駆け巡り、旬の食材を集めるのに忙しい。
間に合わなければ、輪島の朝市へ行く。
ありがたいことに、この土地は未だ天然の幸には恵まれているのだ。
僕は包丁を研ぎ、魚をおろし、連れ合いは得意の料理を作り続ける。
甚だしいほど語り合い、邂逅を慈しみ、ときに唄い踊り、さんざん飲みあかして、仕舞いに一服の茶を点てる。
その際は、作法も道具もいい加減きわまりない。
それぞれの茶があっていいとするならば、僕の茶はそういうふうに、心を尽くしたもてなしや出会いの延長線上にあるものだ。
狩猟採取や農作業など糧を得ることや、料理の仕込みなど食にまつわる活動を、生活と区別して「食活」と、勝手に呼んでいる。
量も質も、器を作るという僕の仕事と食活とが同じくらいになることを望んでいるが、なかなか難しい。
十八でお茶を習い始めて、断続的に今も続いているお稽古は楽しくて仕方がない。
人に習い、自分を耕していくプロセスの面白さはもちろんだ。
利休が四百年前に起こしたビッグバンは、存在物の秘密を、つまり「あるとはどういうことなのか」を解き明かそうとするものだったのではないかと、僕は考えている。
そして、その秘密の鍵「侘」が千家という血脈の中に現在も確実に受け継がれていることは驚愕に値する。
でも、僕が茶道具を集め、茶室を持ち、茶人として振る舞うことはこの先もないだろう。
制度としての茶道は、美的価値のヒエラルキーが明確にある世界で、それが僕の気ままな暮らしや仕事と一致する部分は少ないと思われるから。
もちろん美しさの多様性の一部として敬いこそすれ、それを否定するものでは決してない。
ときどき僕の仕事を陶芸家や漆芸家のそれと勘違いされることがある。
僕の作る器は、そういう趣味っぽい特別なものではなく、普通の人が普通の暮らしのなかで毎日使うためのものだ。
僕は、パン屋や八百屋と同じように町場の雑器屋でありたい。
器作りは、畑作りに似ている。
愛情を込めて、丁寧に作り込んで、農薬も化学肥料も使わない、機械を使わず、手で土を触る。
農作物が天然の賜であるように、器を生み出すのも僕ではない。
人間の日々の営みという、自然の一部だと思う。
器は僕の手を利用し、勝手に器になるのだ。
僕は、僕が作った器が、僕のものでなくてもいいような気さえしている。
「茶の箱」のプロジェクトのために、二〇〇三年頃から数年の間、茶箱を作った。
「茶の箱」の本に掲載されているのは、五年ほど前、確かに僕が作ったものばかりだが、そのような意味でいまや反省することの方が多い。
どれもが作品然とした顔をしすぎている。
つまり、「僕が作りました」という感じなのだ。
芸術の世界では、作品の起源つまりオリジナリティを、天才的な作家個人に求めること、個性的で特別な個人を作品の中に表現すること、発想や技術が革新的であることが、重要であるようだ。
芸術には愛すべき作品も多いが、そういう考え自体を引き受けないことによって、芸術そのものを、芸術の根拠である近代的自我、それらを生み出した近代以降の時代というものを、どうにか乗りこえようと、僕はいま模索している。
そしてそれは、新たに「存在とは何か」という問いかけをすることでもある。
(美術手帖 2009.11)