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漆の未来

器の王道はなんと言っても焼物に間違いない。
漆の器、すなわち塗物は長い間日陰の存在だった。
その傾向にかわりはないが、現在は漆が少しずつ復権を始めた時代と言ってもいいだろう。
振り返ると遠い昔、日本は漆の国だったのだから。
工芸ギャラリーなどで漆の展覧会が開かれるようになったのも一九八〇年ころから。
その少し前、奥田達郎、澤口滋らの率いた明漆会が、漆器の民芸運動としての展開を始めていた。
前後して東京の磯矢阿伎良、木曽の夏目有彦、輪島の角偉三郎などが産地から突出した個人作家として活躍を始めた。
高度経済成長期の果て、バブルの時代までは輪島、会津、山中、越前、津軽など各地方の産地が漆器生産のほぼすべてを担っていたが、その後凋落傾向に陥り、現在も回復の兆しは見られない。
といっても、器の素材としての漆に未来が無くなったわけではない。
一九九〇年頃からは、明漆会の後継者、先駆的な個人作家の影響を受けた若い作り手などが、意欲的に活動している。
漆器生産の主体が、産地から個人へと移行していったのだ。
新しい世代の塗物について一言で述べるとすれば、「使うために作る」となろう。
きわめてあたりまえに聞こえるが、それ以前の漆器は高級品に特化し、晴れやかな空間で主に使用されていた。
その多くは、どちらかと言えば、見せるために作られていた。
また、日常生活の実用品は、早い時期に、化学素材による工業製品に取って代わられていた。
普段の暮らしに、見て美しく、手触りと使い勝手のよい塗物を復活させることができれば、漆の可能性は無限と言ってもいいだろう。
このように毎日の生活で、実用品としてこそ本物の漆の器を使おうという提案が、受け入れられつつあるのは、作り手と使い手とともに若い世代が塗物を単なる伝統工芸品としてではなく、生活の中に溶け込んだ新鮮で洒落た道具として捉え始めたことによる。
それこそ日本の社会が真の成熟を迎えていることの証ではないだろうか。

(平凡社デザイン事典 2010)