書籍
1
「概して見ますと輪島のものも近頃の品は降る一途なので、工人に望むところは形を豊にし繪附を活々したものにして貰ふことであります。
正しく進まば今よりずつとよい仕事を示すに至るでありませう。
」(『手仕事の日本』より)と書いたのは、民藝運動の創始者・柳宗悦で、昭和十年頃のこと。
その後、漆器産地の辿った道は言わずもがなで、指摘されていることが現在の衰退の一因となっているのは確か。
さて柳が言うところの、「豊かな形」とは何だろうか。
真摯にもの作りをする人であれば、器の形が無限の中にあることを知っているはず。
一つの器を真横から見ると、立ち上がる高台から腰の丸いカーブを経て口縁部まで、一本の線が見えてくる。
この線が毛髪一本分揺らいでも、器の形、印象は変化する。
無限に変化する線の中から、これぞという一本を見つけることこそが、作り手の仕事で、一つの美しさに到達するまでには、長い試行錯誤と弛まぬ工夫を重ねる必要がある。
にもかかわらず僕の場合、ようやく辿り着いた形にすら確信が持てず、迷ってばかりなのだ。
そんな自分に光をあて、進む方向を指し示してくれるのは、いつも古き良き物であった。
輪島の漆器の形がいちばん美しく活き活きとしていたのは、江戸後期から明治初年にかけてだと思う。
この形を遺伝子のようにその内部に未だ抱え込んでいるのが輪島の豊かさだろう。
だが、工人に美しさに対する感覚がなければ、遺伝子は眠ったまま、その豊かさが表に現れることはない。
僕はいつの頃からか、黎明期の輪島漆器、多くは無地の椀を手元に置くようになり、その美を現代の暮らしの中に蘇らせたいと思うようになった。
伝統を守るということは、そういうことではないだろうか。
2
千利休は、茶室空間に相応しい物として、すべての茶道具を選択し、柳宗悦は、重厚な木造民家に相応しい生活道具として民藝作品を選んだ。
器や家具など身の回りの道具を、美しく使いこなすには、それらが使用される空間との取り合わせが肝心となる。
さて今時の住空間に、ぴったりと合う漆の器はなんだろうか。
白い壁のマンション、イタリア風の家具、大きなダイニング・テーブルに、和洋をとり混ぜた食事ときたら…。
それならと、産地では盛んに漆のカップ&ソーサーとか、ワインの容器とか、ディナー皿が提案されることになる。
そのどれもが、僕にはへんてこりんな物に見えてしまう。
必要のない物を苦労して作って、無理矢理売っているような気がするのだ。
そういう道具には、すでに用途に相応しい素材で作られたよい物がいくらでもあるからね。
では、漆に与えられている役割とは何か。
その答えはたった一つ、お椀。
漆椀が普及したのは轆轤技術が発達した平安時代。
それまでも、それからも日本人は変わらぬ、世界でも稀な作法で食事をとり続けている。
器を手に持ち、唇にあて、箸でかき込むようにして食べ物を口にする。
その動作に高台のある椀の形はぴったりで、皮膚に触れるとあたたかく心地よい漆の質感に勝る素材はない。
それだけは、今も昔も変わるところがない。
ところが、今は椀が売れないという。
本当にそうだろうか。
売れない理由も明確。
産地が美しい椀を作ることができなくなったからだ。
では、美しい椀とは何か。
美しさは、その形、色、質感と現代空間との取り合わせで決まる。
器は、中に入る料理とのバランスだけではなく、外側の空間とどのようにして詩的な関係を紡ぐことができるかが重要なのだ。
3
あっという間だったけれど、家族連れで東京から石川へ引っ越してきてから二十年。
新天地を輪島に求めたのは、もちろん漆塗りの技術を身につけるためで、輪島塗職人の親方について五年間修行し、独立してからもそのまま住み続けている。
やがて、奥能登の山の中にできるだけ人目につかないような小さな家を建て、自分なりの漆塗りの器を作ることになった。
もともとが、わがままな人間なので、どうせ作るのなら自分で使うための器、家族が毎日の生活で使うのに必要な器から作り始めようと思ったのだ。
作っているだけでは生活は成り立たないので、作った器を売らなければならない。
だけど僕が作ったものなど売ってくれる人は誰もいなかったから、荷物を担いで行って、自分で売り歩くことになった。
以来、使うための漆の器という狭い世界に閉じこもり、勝手なことばかりをしてきたのに、気がつくと世間ではカリスマ塗師だとか、漆の世界を変えたとか言われるようになっていたのは、おかしなものだ。
今でもおそらく変わらずに、漆塗りの器は何か特別な道具で、日常生活で使うなんてとんでもないと一般的には思われている。
だけど僕にとって漆の器は、普段の暮らしの中で使われ、よく働いてくれる、丈夫で美しい道具にすぎない。
本物の漆の器を使うことがどんなに幸せなことかを文章で伝えるのは難しいけれど、実際に漆の器を手にして、その喜びに最初に気がついたのは若い人たちだった。
二十代三十代の彼らは、ファッションやインテリアを楽しむように、漆の器を使いこなしている。
センスよく自然素材の器を使いこなすことが、格好がいいという時代になったのだろう。
僕に与えられた役割は、時代の必要に応える器を作り続けることじゃないかな。
(北国新聞 2008,10~12)