エッセー

火男の踊り

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歌舞音曲の類が苦手である。子どものころから体育と音楽には随分苦労した。学校に上がるまでは、大声で歌ったり踊ったりすることが好きだったが、それが人からヘタだと言われるようになると、すっかり嫌になってしまった。音楽の時間には、オルガンで伴奏する教師の隣で口をへの字に曲げてただ突っ立ているだけだった。合奏は、いつも一番目立たないハモニカかリコーダーで、それも異様な音が聞こえて来るという理由で、吹いている振りをするようにと命じられた。ダンスをすると、リズムに合わせて(会わせたつもりで)振り返り手を差し出すと誰もいなかった。行進もダメ。手と足がバラバラで周りと揃わない。整列すらできない。運動会の時の写真を見ると僕だけとんでもないところで斜めになっている。球技はルールがさっぱりわからない(興味がない)から、これも立ってるだけ。おかげで音楽と体育の成績はほとんど「一」だった。でも、ほんとうは歌うことも踊ることも大好きなのだ。そんな僕があの人に出会ったのは、すっかりオジサンになってからである。その人は、東北の山の中の昔話のような村に住んでいた。ひょっとこ踊りの名人。ふだんは物静かな職人である。その人がひとたび面を被り振り返って、フッと手を挙げた瞬間、ただそれだけで僕は凍りつくように感動した。もう人間ではなく、何かが降りてきたような別の存在だった。「人は社会で生きていくために様々の面を被っています。ひょっとこの面を被ると、それまで被っていた面を脱ぐことができて、ほんとうの自分に戻ることができるんです」。踊り終えたひょっとこはそう言った。そして踊ってみろと僕に面を手渡す。すぐさま請けて、僕はひょっとことなった。夢中で踊りながら、子どものころ大声で唄を歌いながら遊び回ったのを思い出した。面の下で泣いた。僕は、いつでもひょっとこになれるのだ。火男とは、熱に目を焼かれながらも火を吹く醜い男の姿をした竈の神。金属、工芸、もの作りの神でもある。

(野生時代 2008.02)

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