エッセー

職人のいる町

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高温多湿の日本にこれほど相応しくないものがあるだろうか。靴下と革靴である。僕は漆を塗る職人で、ふだん能登半島の輪島というところに住んでいる。家にいるときは年中裸足で、外では下駄か草履、雪が積もれば素足にゴム長。そんな足生活の快適なこと。僕がいつも裸足でいるのは、作業をするのに手だけではなく足も使うからで、足の指でものをつまんだり、足裏で材料を支えたりする。靴下など履いていては、何もできないのだ。都会の人が靴下を装着しているのは、きっと足など使うことがないからで、せっかく便利なものが身体に付いているのに使わないなんて、もったいないと思うのだが。さて下駄の話。かつて輪島にもたくさんの下駄屋がいて、一つ一つ消えて最後の一軒となった。今でも八〇代の職人が店先で下駄を作る。注文すれば材料を選べ、好みの形や大きさを指定でき、最後に花緒も選べる。自分の素足にぴたっとくるのを作ることができるのだ。思い出してみれば、かつて街には下駄屋の他にも鍛冶、畳、板金、鞄、和裁、洋裁といったさまざまの職人のいる店屋があって、身の丈にあった生活道具を作ることができた。いつのまにか職人が街から姿を消し、僕たちは首をすくめたり指を伸ばしたりして、既製品に身体の方を合わせて生活するようになった。窮屈な革靴を履きながら、多くの人がこれを便利な世の中と思っているのが不思議である。身近に職人のいる豊かな暮らしが取り戻せないものだろうか。よい下駄の欲しい方は、まず自分の住む街の下駄屋を探してみてください。

(芸術新潮 2009)

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